あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

宿題

「わあ、届いたよ、ありがとう・・」瞬時にスイッチが入る。メイの声に触れたらもう止められない。僕の意識は身体ごとあの頃に翔んでいた。「誕生日、おめでとう!」 「ありがとう、驚いたわあ。帰ったら玄関に届いてるでしょ、誰よって見たら私宛てで。もう…

インターバル

過去は変えられない。幕の向こう側へ行くには新しく始めなければならない。選択できる道はこれしかなかった。結果がどうあれ、自分を誤魔化すことはしたくなかった。心の底から湧き上がる熱い思いを言葉にしよう。鎧を着て後ろを向いてしまった君の心を、解…

イルミネーション

約束なんて何の役にもたたない。それを成就させるにはふたりの協力が不可欠なのに、破り捨てるのは一方通行で事足りる。君と僕の繋がりが、こんな理不尽が通用するほど脆いものだなんて考えたくもなかった。楽しかった日々がそのまま刃となって内側から胸を…

始まりの北見で

覚悟を決めている君はとても美しい。やっぱり僕には君が必要だよ。あれほど心に響いていた言葉たちは、どこか虚ろで時間だけが過ぎてゆく。君は自分で出した答えを頑なに変えない。一番知りたくないことが僕にも伝わる。底辺に押し込められ身動きできなかっ…

慎重と苛立ち

「私たち、やめよう」あまりに唐突で脳が解釈を拒んでいる。「嫌いになったんじゃない。一緒になるのが嫌なんじゃない。いま会えないのが辛いの。会いたいときに会いたいし、そばにいて欲しい時はそばにいて欲しい。だけど、いまがとても辛いんだよ。ホント…

そしたらね

ホントの目的は君の声、そして気配。受話器から伝わるのは僕の耳に直接響く君の息づかい。1500キロの彼方から届くいまの君の声、衣擦れ、受話器やコードの擦れ、君を載せた椅子の軋み。それらのすべてが今は愛しい。君と繋がっている電話から洩れてくる微か…

コード・ネーム

「さっき電話があったよ、マキさんていう女の人から」知り合いにマキさんはいないけれど、マキといえば君しかいない。この時の二人だけに通じる名前だった。「名前を訊かれたから咄嗟に」って君は言うけど、僕たちだけの暗号っぽくて、なんだか楽しくて嬉し…

旭川駅叙景

隣のメイをぼんやり眺めていると、君は俯くように動いて足元に視線を落とした。露わになった細いうなじに僕の左手は吸い寄せられ、気付けば白い襟足を際立たせているショートボブに触れていた。君の瞳が何か言いたそうに揺れた時、目の前でドアが閉まった。…

イチゴ

愛らしいイチゴ模様を身にまとった君は、愛らしさに輝く笑みを僕に向ける。両の手で君の頬をそっと包めば、愁いを帯びて潤んだ瞳はキラキラとして眩しいほど。始まりを予感させる口づけを、そっと閉じた瞼に優しく贈ろう。ほんのりと紅が射すような口づけは…

金色のウィスキー

僕は唇を重ね、琥珀色の液体をメイの口にそっと注いだ。味わえる程度の量を、と考えたせいだろう、ちょっと多かったらしい。ゴクリと飲む量が入ってしまった。 「ム~ウ~!!!」 口を開けられない君は眼を大きく瞠いて僕の胸を叩く。 《いけね!》 すぐに…

青函連絡船

またいつかな、寒さに両手を脇に挟みながら函館山にそう呟く。メイの暖かさが冷えた頭に甦る。首元に残してしまった赤い跡が眼裏に浮かび、その時の感触と体温が一緒になって熱いものが込み上げてくる。すべてはあの前から始まっていたのだ。 ずいぶんと遠回…

反則

通りに面した大きな窓のレースのカーテンが、薄ぼんやりと白み始めている。遮光カーテンを開けた時はまだ闇の中だったから、あれから少し眠っていたようだ。 静かにゆっくりとしたリズムで聞こえているのはメイの寝息だ。間近で耳にする生命の気配は大きな安…

オニと鉄紺

「私ね、職場でオニメイって呼ばれてるのよ」 いきなり何て話題だろう。それにしてもオニとは。確認が必要だろ。 「オニって、あの鬼?」 「そ、あの鬼」小気味がいいくらいにキッパリと断言する。 「ええっと!?」変な声が出てしまった。どんな反応をして…

棘(トゲ)

君はいつも僕の1歩前を行く。北見を離れる日もそうだった。君のドアをノックすることもなく帰ろうとした僕に、君は「チョット待ってよ、それでいいの?目を覚ましてよ!」と僕の横っ面を張り飛ばしてくれたんだ・・と感じている。 あれは9月の初め、午後の…

北見駅

左側から近づいてきた足音は、僕の真正面でピタリと止まった。反射的に上げた顔に「あれ?」と発した言葉が貼り付く。メイが立っている。

あしのすきま

サックスブルーのジーンズを穿いた君は「両足を揃えて立った時にね、足と足の間に隙間があるといいなって思うんだけど・・」言いながら君は両足を揃えて足元を見る。「えっ!?」野郎どもは一瞬たじろいで動きを止めた。ちょっと待ってよ、女の子同士の会話…

なごり雪

2階にある事務室の窓は中央大通りに面していて大きく空が見える。今日は晴れていて気持ちが良さそうだ。密閉された空間でモグラのように作業をしていると、時折見る外の景色には息抜き以上のものがある。例えそれが見慣れた街並みであっても貴重な時間であ…

承知しねぇ

隣に座っていたYさんが何か言いたそうに僕を見ている。何の用だろうとそちらを向くと、皆からは見えないように机の下で拳を作り、小声で僕に伝えてきた。「Jeyに手ぇ出したら、承知しねぇぞ」目がテンになる。僕の顔は豆鉄砲を喰らった鳩のようだったんじゃ…

テレビのない部屋と君の部屋

「NHKのテレビで新日本紀行ってあるでしょ」君はお茶を飲みながら話す。「私、あの番組好きなんだ。テーマ曲もいいし」僕もお茶を飲みながらどんな番組だったか思い出し、感じたままを口にする。「あの曲は日本人の郷愁を誘うよね」とたんに君の顔は嬉しそう…

炉端焼き

「これキンキっていうの、おいしいわよ」左側の椅子に座った君が皿に取り分けてくれた。僕は早速箸をつけ、ウマイねぇ、と言いながら次々と口へ運ぶ。「でしょう・・」君はしたり顔だ。甲斐甲斐しい君の様子は眺めているだけで心地よさを覚える。もし二人き…

偶然と必然

「そう言うと思ったよ」係長はニッと笑って言った。「北海道は北見っていう所だ」初めて聞く地名だった。距離感がまったくつかめない。「網走の方らしいぞ」係長は事もなげに言い放つ。奇跡のような君との出会いが北見で待っているなど夢にも思っていなかっ…

汽笛

テレビのない6畳間に寝転んで君に借りた星新一の文庫本を開く。遠くで《ポッ》と短い音が鳴った。北見駅から届いた汽笛が殺風景な部屋を通り抜けて行く。 星新一のメルヘンチックな雰囲気に染まった頭の中を、時折句読点のような汽笛が横切って行く。僕の中…

清張と新一と洋子

僕を説得にかかる君の顔はどうやら本気のようで、清張ファンを増やそうとする熱意を感じる。 君は言葉を濁していたけど、きっと美味いって確信のようなものを感じる。何故だろう、そこは人間性が現れる気がして譲れない確信だった。 聡明って、そのまま君だ…

誕生石

「私の誕生石はエメラルドだわ」 休憩時間の雑談中に君はそんな話を始めた。それまでは星占いやノストラダムスの大予言の話題だったので、僕はてっきり同じ系統の話なのかと考えを巡らせたものの、結局、頭の上に沢山の疑問符を浮かべるだけの結果に終わった…

子供みたい

君はそっと僕の手のひらに触れ、驚いたように言った。「やだ、ウソッ、子供みたい・・」まだ半信半疑の君に僕は手を差し出す。「ちゃんと触ってみなよ」 僕の手に君の手が重なったところで、ぎゅっと握ってやった。これでハッキリ解るだろう。 「わ、暖かい…

負けそう

それは女性の声で「・・なんだね、負っけそ」と言ってると即座に分析が行われた。小首を傾げた姿勢で談笑している女性の姿があった。気さくで開けっぴろげに女子トークを展開しているのはメイさんだった。

あの頃

途切れとぎれに思い出すエピソードのピースは、それらを拾い集め繋ぎ合わせて再構成すると、一つのショート・ストーリーとして様々な意味を帯びてくる。そこで覚えるのは懐かしさというより、あまりに遠くなってしまった存在に対する、苦みや痛みに近い感覚…