事務室の机に乾きものを並べてお酒を呑むことが時々ある。氷下魚(コマイ)の干物は半端なく硬い。それを裂くようにして小さく引きちぎり、あごの訓練よろしく噛み締めていればご褒美のように旨味が滲み出る。北見へ来て初めて知った魚だ。
その日も各自が適当な場所に椅子を確保して宴席が始まった。
酒を注ぎ合い氷下魚をかじっているうちに席はバラけ、皆がてんでに動き回り小グループになって話し込んでいた。
気が付くとYさん(だと思う)が隣に座っている。皆は話に夢中で僕とYさんだけが離れ小島状態になっていた。古株然としたYさんとの会話といえば、せいぜい挨拶程度の記憶しかない。その風貌と言葉遣いから結構な年齢だと想像はついても、確かめてはいなかった。どんな話題を持ち出そうかと思案したものの要らぬ心配だったようだ。
Yさんが何か言いたそうに僕を見ている。
何ですか?、と訊こうとして言葉を呑んだ。Yさんは皆からは見えないようにして机の下で拳を作り、心なしか怒っているような表情をしている。怒りを買った覚えはないし心当たりもない。
戸惑いつつ気の回し過ぎかと考え直し、どうかしましたか?、と訊いていた。
Yさんは握った拳を充分に見せてから小声で僕に伝えてきた。
「メイに手ぇ出したら、承知しねぇぞ」
目が点になる。
事態が呑み込めない。僕の顔は豆鉄砲を喰らった鳩のようだったんじゃないかと思う。気持ちが現実に戻るまで数秒かかった。まったく意味が分からない。
「何か勘違いしてません? 何かあったの?」
Yさんは念を押すように、もう一度ゆっくりと同じことを言う。
「メイに手を出すな、承知しねぇぞ」
訳が分からない。唖然としたままYさんの顔を見ると、どうやら冗談ではないようだ。静かな物言いが不気味だが、このような席で、まさか、との思いも頭の隅にある。何かの間違いなら話して分かってもらうしかない、と腹を決めた。楽しい酒の席を壊したくはない。
「ちょっと待って下さい」と言いながら机の下で両手を下に向ける。落ち着きましょう、のサインの積もりだった。Yさんの目を真っ直ぐに見て、皆んなには聞こえないように声を絞って伝える。
「何があったか知りませんけど、僕は何もしてませんよ。誰かの間違いじゃないですか?」
値踏みするように僕を見据えるYさんはしばらく無言だった。
やがて拳を解くと「何もなけりゃいいんだ。邪魔したな」と皆の方に向き直ってくれた。
周りでは何事もなかったかのように談笑が続いている。
僕もホッとしてその輪に戻った。心臓はしばらくバクバクしていた。
君は職場の皆んなに可愛がられ護られてるんだなあ、とつくづく思う。
例えば憎まれ口をきいても嫌味にならず、生意気を言っても不快感を与えない人って稀だけど確かにいるよね。君もそうした気質を持った人なんだと感じることがある。周りの人もそのことを感じるから、護らなきゃって空気が生まれるんだろうね。
皆んなと同じ色に染まってしまった僕の言動が、Yさんを触発したんだろうか。
◇◆◇
後日、君は
「Yさんに何か言われてたでしょ」
と尋ねた。
なんだ、見られてたんだね。
あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。