あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

なごり雪

2階にある事務室の窓は中央大通りに面していて大きく空が見える。今日は晴れていて気持ちが良さそうだ。密閉された空間でモグラのように作業をしていると、時折見る外の景色には息抜き以上のものがある。例えそれが見慣れた街並みであっても貴重な時間であることに変わりなく、晴れていればなおさらだった。

 

一段落して気付けば事務室に残っているのは僕だけになっていた。いつもなら誰かしらが休憩にやってくる時間帯になっても今日は誰も来ない。そのうちぽつぽつ集まるだろう、僕は気にも掛けず大きな欠伸をしてからカップにコーヒーを入れお湯を注いだ。勿論インスタントだ。窓際の壁に据えたデスクに斜めに尻掛けし、コーヒーをすすりながら身を捩るようにして窓の外を眺めていた。

「いい天気ね」

突然の間近な声に驚いて振り向くと、君も顔を並べて外を見ていた。いつの間に淹れたのだろう、その手にはコーヒーカップが握られている。 油断していた僕のカップの中身は、波立ってこぼれそうになる。

「ああ、うん・・」動揺を隠すようにカップを口に運び「こんな日は外の仕事が羨ましいね」と当たり障りのない話題を持ち出して、驚いてないアピールをする。

「ほんと」君は窓の外を向いたまま頷いた。「今日は気持ちよさそうだわ」

遠くを見ている君の横顔は根拠のない安心感を僕に与え、呑気に歌っていた鼻歌も聞かれなかったという淡い期待を抱かせる。

それなのに君は、おもむろに僕を振り向いて言った。

「ねぇ。 好きなの? 演歌」

「?!」

ムグッという音が漏れそうになる。涼しい顔での質問に収まりかけた動揺はぶり返し、僕の狼狽など気付きもしない君は追い打ちを掛ける。

「さっきのは『函館の女(ひと)』だよね?」

しっかり聞かれてたんだ。北見を舞台にした即興の替え歌を。

「聞こえた?」汗が出そうだ。「あの、、特別に演歌が好きってわけじゃなくて・・」恥ずかしさで、しどろもどろになる。「さっきはちょっと、あの、あんまり天気がいいから。誰もいなかったし・・」

ふうん、と言った君は鼻歌を追及することもなく思案顔で僕を見ている。

なごり雪って、知ってる?」

替え歌を深堀りする気は無さそうで取り敢えずほっとする。肩透かしを喰ったような気もしたが。

僕の音楽趣味は洋楽に偏っていてジャンルは色々。要するに耳障りのいい曲ならなんでもOKの雑食だった。ただインストゥルメンタルが多く、友人の影響でジャズも聴き始めていた。それでもテレビから流れてくる流行歌は知っていたし馴染んでもいた。

「ああ、知ってるよ」どこで聴いたのか忘れてしまったけれど。

「いい歌でしょ、好きなんだ」

「一度聴いたら忘れないメロディだね」

「その歌詞にね、”去年よりずっと綺麗になった~” ってところがあるの。いいと思わない?」声には期待が籠っていた。

そう言われてもなあ、僕はそんなに詳しくないよ。ただあの曲は・・

「あの歌って、失恋の唄じゃないの?」聞きかじりの歌詞と曲調から、なんとなくそんな風に理解していた。

「失恋っていうか」君は、ちょっと違うのよ、と言いたいようだ。「別れの場面を歌ってるのよ。別れてしまう女性(ひと)だけど、去年よりずっと綺麗だなって思ってるの。素敵じゃない」

去年より綺麗に思えても、それが別れる女性じゃ男としては虚しさ倍増だ。僕の応えは素直なものだった。

「それって、まだその女性を好きだってことだよね? なんだか切ないし寂しいなあ」

「そうかも知れないけど」と言った君は、それにね、と希望をつないで「その後、どうなるかは分からないでしょ?」と意味深な目をする。

「そんなものかなあ。。」去年よりずっと綺麗になった、なんて言われると女性はキュンとするのか。たとえそれが別れる男でも・・? 僕の中には新たな疑問が生じる。

「ねえ、もしかして女性の方も、まだその男を好きなのかな?」

「たぶんね。好きだけど別れなければならないことって、あるでしょ」

「えええっ??」疑問符がいっぱい並んだ。「考えられない訳じゃないけど・・」僕は認めたくない。「例えばさ、相手が死んじゃうとか、国境の壁に阻まれてどうにもならないってのなら仕方ないと思うけど・・」

「飛躍し過ぎよ」君は半ばあきれ顔になってる。「親の反対とか海外転勤とか、重い病や金銭問題とか色々あるじゃない」

「それでも、おかしいでしょ。二人の問題なのに」

僕が渋っていると君は話の方向を転換してきた。

「あなたならどうするの?」

「好きなのに別れるなんて、出来ないなあ。僕はそんなにドライに割り切れないよ」

「へぇ・・」君は珍し気にこちらを見るだけで口を挟もうとしない。

「互いに相手のこと好きなんでしょ。だったら戦わないと。手を携えて」

何かを考えている君は相変わらず口を挟まない。このままでは中途半端だし、僕は続きを促されてる気がした。

「それでもどうにもならないのなら、駆け落ちしてもいいんじゃない? 社会を敵に回すくらいの覚悟があればなんとかなると思うけどね。出来るでしょ、想いあってるふたりなら」

ふうん、と言った君は頬笑みを湛えた目になって僕を見つめるばかりだ。

「なんだよ・・」むず痒くなりそうで突慳貪なもの言いになった。

「案外熱いんだな、と思って」

予想もしない言葉にドキリとする。

「・・・」口だけがごにょごにょ動いた。自分でも何を言ってるのか分からない。

冷静になろうと冷めたコーヒーをがぶ飲みしても顔の火照りが収まらない。君は何故だか嬉しそうだ。

「あなたはもっとクールで、何でも合理的に割り切るのかと思ってたから。だから意外だなって思ったの」

「理屈っぽいのは認めるけどさ」平静を保つため務めて冷静な対応を心掛ける。「冷血動物じゃないんだから」

「うん分かってるよ。だけど、見直しちゃった」

「止めてくれ」僕の耳は赤くなってたかもしれない。

初めからハンデを背負い込み、分の悪さから余計な話をしたとの思いがあった。

違ったようだ。君が柔らかい笑顔を向けてくれるから、僕も温かい気持ちで笑うことができた。案外、余計な話ではなかったかもしれない。

事務室にはあれから誰も入ってこない。

防戦一方のふたりの時間、貴重な二人きりの時間、早く終わらせたいのか続いて欲しいのか、分からなくなっていた。

 

 

「色んな歌のことをよく話すけど、ラジオとかレコードで聴いてるの?」

「ラジオも聴くけど、コンサートも行ってるかな」

「コンサート? よく行くの?」

「ううん、時々よ。それに北見ではあんまりやらないから・・」

「北見じゃないって、何処でやってるわけ?」

「うん、釧路とか旭川にね」

旭川?」聞き間違いではないよね。「来るときに通って来たけど遠いぜ。大変じゃない?」僕は函館から札幌、旭川を経由して北見まで来た時のことを思い出す。

「そうね、うまくすれば1日で済むけど、だいたい2日がかりになるわね」君は平然と言ってのけた。

「えーっ! コンサートに2日あ?」

「そんなの、あたり前よ」

「ええっ! あたり前なの??」

二重に驚いてしまった。あたり前なんだ、2日もかけてコンサートに行くのが。。

想像したこともなかった。

コンサートへ行くのに2日をかける。凄いエネルギーだ。この行動力の源泉は何処にあるのだろう。

 

 


あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。