あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

インターバル

お土産を積み、気を付けてね、の声に送られて畑の点在する道へ走り出た。2日前に通った見覚えのある角を幾つか曲がると川沿いの道に突き当たる。信号のないT字路を右折すると、片側1車線の広い道が美しいカーブを描いてずっと先まで続いている。このまま道なりに行けば幹線道路に出るはずで迷う心配はない。

友人の里帰りに便乗して福島まで遊びに来た帰り道だ、急ぐ理由などないが閑散として広々と感じる田舎道は、アクセルを踏み込ませる誘惑に満ちている。制限速度40kmの走りやすいこの道は『度々《ネズミ捕り》をやっているからね』と出発前に釘を刺されていた。まさか御用となる訳にもいくまい。頻繁に速度計に目を遣り50の目盛りを超えないようにトロトロと走り続けた。貸し切り状態で信号もない道路をひたすらゆっくり進まねばならないのは、長距離ともなると考えてる以上に拷問に近いものがあった。

 

川沿いの田舎道をじりじりしながら進み、ようやく解放されるように国道4号線に乗った頃にはすでに薄暗くなっていた。流れに乗って進めば何も考えなくてもやがて首都高にぶつかる。次第に僕の意識は目の前に続いているテールランプの列に連なっていた。

話し相手もなくラジオから流れる歌やおしゃべりを耳にしながら暗い車内でハンドルを握っていると、気付かないまま頭の中は君の思い出に占領されている。ラジオのはしゃいだ声が現実感を失って、遠いノイズのように夜の背景に溶けてゆく。

 

 

君を失ってから半年以上が過ぎていた。ラジオを消し車の走行音の中に身を沈める。

何か間違ったのだろうか ――。

 

 

あの日以来、僕は自分を偽って暮している。君への思いや感情や考えをすべて固く閉じ込め、これまでと同じ自分を演じている。仕事は楽しく無難にこなし、冗談を言い合っては笑い、酒は適量を守り醜態を晒すような真似はしない。

偽りの生活をいつまで続けられるかは分からない。仮面を被っている自覚がある限り破綻することはないだろうと踏んでいるが、それでも出来る事なら君の面影に苛まれる日々を、可能な限り無くしてしまいたいと願っている。どれほど自分を偽ろうとも心の痛みは消えてくれやしないのだ。

 

国道に乗り入れてからどれくらい経ったのだろう、周りを走る車の騒音はすっかり耳に馴染んで意識に入らなくなっていた。案内板の東京の文字だけを追い続け無意識にハンドルを操作し、終始無言だった。

『間違い』

ボソッと呟いたその答えを僕は持っていない。路面から伝わる単調なリズムが雑念を削ぎ落とし、僕は僕自身の答えを捜し始める。思い返してみればメイを失ってからずっと捜し続けていたのかもしれない。次第にクリアになる意識は『そんな答えなどありはしない』と囁いている。自分でも薄々予感している結論だ。

それは同時に『メイのことが痛いほど愛おしい』という実態を明確に炙り出した。

考えるまでもない、分かり切っていることなのだ。僕は恐らく、一方的にメイに惚れている。身体の奥底から容赦なく膨れ上がる衝動は、抑えようとする僕の努力をあざ笑い、溢れ出る感情の奔流に溺れて窒息してしまいそうになる。

 

ふと黄色い灯りが頭の隅に点ったことに気付いた。運転を続けるのか考え事をするのか、どちらかを選べと言う警告だった。このまま走り続けていたら運転していることを忘れてしまいそうになっていた。

「休憩するか」

自分に言い聞かせるように独り言ちる。

大きめなドライブ・インを見つけて入る。国道や店舗から離れたあまり照明の届かない場所を探して暗がりに向けて車を停めた。田畑に囲まれているらしくフロントガラスの向こうに広がる闇にホッとする。エンジンを切ってシートの背もたれを少し倒し、暗い空を見上げる姿勢になった。国道側から寄せてくるくぐもった車の騒音は、周囲の静寂を中和して程よい環境音になりそうだ。一度、無限ループに陥りそうな心を整理したかった。

何も見えない空を見据えながら、大きく息を吸いゆっくりと吐き出す。呼吸に意識を集中して心拍数が落ち着くのを待った。

 

多くの事柄を考えていたようでいて、案外堂々巡りだったのかもしれない。整理するために走行中に考えていたことを、もう一度なぞるようにゆっくりと追体験を試みる。予想はしていたものの、とても簡単に整理のつく心理状態とは思えなかった。

覚悟を決めるしかないだろう。答えを求めて急ぎたくなる気持ちを封印し、制限時間なしを自分の脳ミソに言い渡す。このまま夜明けを迎えても一向に構わないのだ。せめて心の置き場所・方向性だけでも掴んでおきたい。

 

 

身体の芯の辺りで燻ぶり続ける熾火は時折火照るように燃え盛り、メイとの連絡が途絶えてからも一向に衰える気配がない。生活のすべての局面においてメイとの繋がりを模索してしまうようになった習性や、身体中を駆け巡る抑えがたい衝動のすべてが芯で燃えている塊に由来する。休むことなく繰り返される後悔と自己嫌悪と焦がれる思いも根っこは同じだった。

すべての事象のベクトルはメイに向かっている。僕たちは仕方なく壊れた訳ではなくメイによって扉は閉じられたのだ。認めたくなくても僕は振られたのだ。メイにその決断をさせた原因が僕にあったとしても僕はそれを知らない。そして知る術がない以上、僕の頭が導き出す推測や結論は脆弱な仮説でしかない。

僕が餓えているのはそうした仮説に基づく答え合わせではない。後も先も考えず滾る思いのすべてを直接メイにぶつけることにあった。そこに理由など要らない。

断ち切れない思いがあるなら、何かを為すべきだろう。

 

ハッキリしていることが2つあった。

幕はすでに下りていて第2幕の予定はない。たとえそれが自分の意に沿わない結末だとしても僕は監督ではなく興行主でもなかった。二度と上がらない幕なら切り落とすしかないだろう。

そして過去は変わらないし変えられない。思い巡らし間違いを探し出して答えを見つけたとしても、起きてしまった出来事は頑としてその時間に永久に張り付いたままだ。

 

過去を変えられないなら未来を変えるしかない。未来が変われば過去を笑い話にもできる。

行動を起こすことから始めよう。可能性を考えるのはその後のことだ。

抱えきれない思いをダイレクトに届けよう。たとえ一方通行だったとしても、不本意な結果に終わったとしても、自分を誤魔化すような真似はしたくない。

心の底から湧き上がる熱い思いを言葉にして伝えたい。鎧を着て後ろを向いてしまった君の心を解きほぐすことから始めよう。

何もしなければ幕は永遠に閉じたままで、幕の向こう側を窺い知ることはできないのだ。僕はどうしても向こう側へ、メイのいる場所へ行く必要があった。

選択できる道は限られている。そんなこと分かっているさ。

「待ってろよ、メイ」

メイの迷惑そうな顔が浮かぶ。煙たがられる反応を押し通す強さが必要だった。

 

 

シートの背もたれを戻して外に出る。開けたドアに手をかけたまま上を向く。暗い空の表情は読めない。胸を反らせて湿った新鮮な空気を肺に送り込んだ。煮詰まってヒートアップした脳細胞が現実を取り戻して空腹を訴える。深夜なのか早朝なのかはっきりしないが、体内時計は日付が変わっていることを告げていた。周囲を見れば駐車場の車はまばらになり国道も静かになっている。時折通過する車が甲高い排気音を残してゆく。

ここで夜食を済ませよう。派手な看板を掲げ、明るい照明が窓から漏れている建物へ向かって歩き始める。食べ終わる頃には空が白み始めるかもしれない。

 

新しいスタートへ向けて、長いインターバルが始まった。