あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

家族

林道の所々に藪の中へ分け入る獣道のような細い道があり、注意しながら走っているとそうした入り口の近くには必ず立て看板があることに気付く。速度を落とすとそこに赤いペンキ書かれた文字を読むことができる。

「熊注意?」僕は思わず声に出していた。

「そうなの、この辺でも熊が出るのよ。山菜取りに夢中になってて、クマに襲われる事件が毎年必ずあるわね」

後ろの席からメイのお母さんが教えてくれる。

「クマ、ですか。相手が悪いですねぇ、逃げられないんですか?」

「ダァメだわ、クマの方が早いから逃げきれんもね。それに音もなく襲ってくるっしょ」

今度はお父さんだった。

 

車で市内を巡ることになり家を出るときに車のキーを渡されてしまった。暗黙の内に運転役は僕となっていたらしい。メイのご両親と4人での初ドライブだ。メイは当然の如く助手席に座っている。案内役は後部座席のご両親で、「次の信号を右に」とか「あの店の手前を左ね」と指示されるままに車を走らせた。10分も走れば家並みが途切れ、20分もしないうちに周囲は森林のような景観になる。街と山がこんなにも近いことに新鮮な驚きを覚える。

 

ご両親の会話が後ろの席から途切れがちに漏れてくる。ガクンてならない、お父さんと違うわね、静かだわ、ホント安心、そんな単語が切れ切れに拾える。

どうやら運転のことらしい。それも上手だと話してる様子でホッとする。周囲の状況を勘案して車をコントロールするのは面白かったし、同乗者にストレスをかけない運転を目指している僕としては快哉を叫びたくなるほどで、心の裡でガッツポーズをする。それは同時に採用試験の技能実習にパスしたかのようであり、期待一杯の眼差しを浴びているようでもあって、晴れがましくも妙にくすぐったい。

こそばゆさに頬を緩めて隣を見ると、メイも同じような顔でこちらを見ている。その目に悪戯っぽい色があるのを見つけてピンと来るものがあった。

どうやらメイは「運転が上手よ」とかなんとか両親に吹聴したんだね。会話の端々にそんなニュアンスが漂っている。

僕が「そうなのか?」と眼で尋ねると、メイも目付きで「そうよ」と頷き返した。ふたりして暖かな気持ちになり無言で笑い合った。

 

市の体育館では市民文化祭(だと思う)が開催されていた。メイのご両親に続いて入口でスリッパに履き替える。不意に "ほかの人から見たら僕たちは4人家族に見える" って気付いた。とたんに不思議な心地になり気分は舞い上がりそうになる。僕は一人でハイになっていた。

メイと歩きながら、会場いっぱいに並べられた絵画や書道や手芸の作品を見てゆく。すべての作品が僕たちに微笑みかけてくるようでとても愛おしい。市のみんなが僕たちを温かく迎えてくれているような嬉しさを覚える。メイが一緒だから開かれてゆく扉だ。

これはきっと、メイの魔法なんだね。

 

 


あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。