あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

わかって下さい

昨日は何キロ走ったんだろう。

まさか深夜になってしまうとは想像もしていなかった。さすがに今日は長距離を移動する気になれない。

「昨日はごめんね。北海道の大きさを甘く見てた。隣街との距離が半端ないって身に沁みたよ。早くメイに相談すれば良かった」

「私も運転する訳じゃないから詳しくないけど、住民としての常識程度ならあるからね。遠いからキツイよ、くらいなら言えるかな」

「帯広まで行くつもりしてたんだから無謀だよね。無知って言うかさ。夜になるとは思ってたけど、それでも早いうちに到着する予定でいたんだから、自分でも呆れる」さすがに今朝は疲れが残っていた。メイは大丈夫だったろうか。「眠れた? 疲れたでしょ」

「ううん、私は大丈夫よ」君は元気一杯って顔をして僕を気遣ってくれる。「それより運転、疲れてない?」

どんな表現なら北海道の大きさを言い表せるのだろう。道路地図から予測される距離感が関東のものとはまったくの別次元だった。

「まだ、大丈夫だな」少し嘘が混じってた。「出発を遅くしてもらったし、今日は帯広辺りまでだからゆっくり行くさ」自戒を込めてそう言った。

 

国道38号線をゆっくりと南下している。点在する集落や峠を抜けてしまうと、道路の両側はほどんどが農地か草地で、圧倒される広がりの真ん中を走っている。

ほぼ独占状態の快適な道、遠くには小高い丘のような山並みが見え、そして助手席にはメイ。これ以上を望んだらきっと罰が当たってしまうだろう。

カーラジオから流れているおしゃべりと音楽は、二人に代わって甘い囁きを交わし、このドライブは永遠に終わらないという甘い幻想を抱きそうになる。しばらくすると君は何かを思い出したように言った。

「ねえ、"わかって下さい" って歌、知ってる?」

予想外の問いに反応してメイを振り向いてしまった。昨夜の続きかと思ったが要らぬ心配だったようだ。メイの表情からはふたりのドライブを心から楽しんでいる様子が伝わってくる。

「う~ん、聞いたことがあるような無いような、歌ってみてくれない?」

「ええっ? えーとねぇ・・」空を見上げたきり君は歌い出しそうにない。「うーんとねぇ・・」と言ってはしきりに困っている。

新しい発見をしてしまった。しかめっ面のなずなのに、今の君は何故そんなに愛らしいのだ。僕の顔は自然と綻んでしまう。

「どしたの?」って僕は訊いたけど、とても嬉しそうな顔をしていたらしい。

「あーっ! ホントは知ってるんでしょう」すねた表情をミックスした顔で君は僕をにらんでいる。「もう、意地悪するんだから、ホントに悩んじゃったじゃない」

「ごめんごめん」

僕の顔は嬉しそうを通り越して半分笑っていたようだ。

「それって本気で謝ってないよね」ピシリと指摘する言葉は手厳しい。

「そんなことは」横を見ると本気で怒りそうな気配を感じる。「意地悪したわけじゃないから、ね? ホントにゴメン」

「もうイヤだからね」

「うん、分かった」

「・・」君は何かを考えてから話し出した。「今度意地悪したら減点だからね」

「え? ゲンテン?」

「そう、減点。増えるんじゃなくて減るの。マイナス10点とかマイナス20点とかってね」

「うん、減点は2度目だから分かってるけど」

「うそ。 前にもそんな事あったの?」君はすっかり忘れてるらしい。

「忘れててくれて、いいんだけどね」

「どこでそんな話になったのかな」

「あれはメイが東京から帰る日だよ、羽田へ送って行く時に」そう話してから、しまった、と思った。遅かった。

「ああ! 思い出した!」何故かその表情は生き生きとしている。「寝てるところを起こされたんだ」ここまで言うとメイは急に嬉しそうな顔になって宣告した。

「それじゃ2度目ってことで、いまのはマイナス100点!」

「わ、厳しい」

「そう。あなたの場合、確信犯だからね。厳しいの」

「確信犯、ね。」半分は認めるけど。

「あれ? 不服でも?」

危ねぇ、さらに減点されそうだ。

「いえいえ、滅相もない」

神妙に答えてから本題に戻った。

 

「それで、"わかって下さい" がどうしたの?」

「うん、この歌もいいなあって思って」

「いいね、胸に染みてくるものがあるよね。好きなんだ?この歌」

「うん、好きだな、こういうの」

「でもさ、これも失恋の歌だよね」

「そうだけど、何?」

「前に "なごり雪" が好きだって言ってたでしょ?」

「あの歌も好きよ」

「どっちも失恋ソングだからさ、哀しげな曲が好きなの?」

「別にそういう訳じゃないけど」

「メロディラインとかフレーズが直接届くのかな聴く人の心に」

「両方かな、違和感なく心の中に溶け込んでくる気がするけど」

「そうなんだね」と言いながら、僕は少し別なことを考えていた。

 

"わかって下さい" というフレーズに触発されて、付き合い初めた頃から抱き続けている気持ちに思いを巡らせていた。それをメイに "わかって欲しい" と望んではいるものの、説明する言葉を見つけられないまま胸の奥にしまったままになっている。どんなに言葉を尽くしても、伝えきれない気がして口に出せずにいた。

 

《わかって下さい、か》 無意識につぶやいた言葉に意味ありげな響きがあったらしい。

「え? 何かあるの? 何が、わかって下さい《か》 なの?」

「あ、ごめん。考え事してた」

「何か、わかって欲しいようなことでもあるの?」

いい機会かもしれない。話してみようか、と思った。

「ええと、ね。 知っておいて欲しいって思ってることがあるんだ」

君は改まった姿勢になった。

「そうなの? 話してごらん、聞いてあげるよ」

君は小学校の先生風に言ってくれるけど。。

「そう畏まられると話し難いけど。支離滅裂になりそうだから・・」

「込み入った話?」

「僕の気持ちのことなんだ。だけど、それをメイに伝える言葉が見つからなくて。分かってもらうのに適切な言葉を捜しあぐねてるってところかな」

「複雑な心境なの?」

「シンプルだよ。僕の心の中では」

君は興味を持ってしまったようで、面白いことでも期待するようだ。

「ふうん、教えて」

この時僕は、最初から話すのが一番の近道だと考えた。

「僕がメイと初めて会った時から、ずっと変わらずに持ち続けている気持ちがある」

「・・・・、ん」声が出るまで少しの間があった。

「それがどんな種類のものか、知ってて欲しいって思ってる」

君は小さく頷いた。

ここで僕はつまづいてしまう。言葉が見つからない。

「んん、ちょっと待って、やっぱり、後でもいいかな。車を停めて落ち着いて話したい」

「ん。ゆっくりでいいよ。じゃ、後でね」

「ありがと。後でね」

 

◇◆◇

 

早めにチェックインを済ませ、夕暮れまでの何もすることのない時間を確保した。少しづつ陽が傾き、ゆっくりと黄昏の色を濃くして行く帯広の街を、メイが淹れてくれたコーヒーを愉しみながら眺めている。もう少しすると大きく膨らんだ太陽から届くシャワーでこの部屋がローズピンクに染まり、やがてオレンジから深紅までの時間差グラデーションが展開される。空はすでにその予兆を孕んでいる。贅沢な時間だった。

同じ向きに二人並んで座り、同じコーヒーカップを持って同じ街並みを見ている。これ以外の要素は何も要らない、これだけで充分幸福感に満ちていた。

"二人だけでゆっくりしたい" と言った約束を、いま果たしている。きっと君も、こうした時間を心から欲していたのだと思う。

 

大丈夫、どこに住もうと、どんな仕事だろうと君が一緒なら明日を信じることができる。大袈裟ではなく素直にそう思えた。

それこそ “わかって下さい” だと思った。

 

 


この話って、いつ頃? あの頃がいつなのかはこちらを。