あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

コード・ネーム

小さな金属片が当たるカシャンという小さな音も、3メートルほどの高さに積み上げられた代物が数百も並べられた機械室の中では、ゴーゴーと唸るような騒がしさになる。ワイヤー・ロジックで組み立てられたこれら機械の点検・修理が僕の仕事だった。複数フロアにまたがる機械室はさながら鉄のジャングルで、この中に入った誰かに用がある時はもっぱら構内放送による呼び出しが行われていた。

 

この時僕は事務室での作業があったため、少しの間機械室を離れていた。

用を済ませて機械室に戻ると

「事務室へ行ってたのか、さっき電話があったよ・・」

と伝えられた。

きっと何回も放送で呼ばれたんだろう。機械室の放送は事務室には聞こえない。

「そう、ありがとう・・・」

用があるなら、また掛けてくるさ。軽くそう考えていた。

「電話ね・・マキさんていう女の人から」

え? 名前を訊いたの?

「そう、ありがとう・・」僕はもう一度同じことを言った。

知り合いにマキさんはいないけれど、マキといえばこの人(君)しかいない。シャレたことを・・。 僕はニヤけそうになるのを抑え平静を装うのに苦労する。

「電話したら・・」取り次いだヤツが余計な気をまわしてくる。

「うん、しますよ。これを片付けてからね・・」事務室から持ち帰った作業をしながら、僕の気持ちはすでに北見へ飛んでいた。 “マキさん” って聞いて、すぐにピン!ときていた。この時の二人だけに通じる名前だ。

 

早く声を聴きたかった。誰にも聞かれない場所へ移動して電話をかけた。

「電話ありがとう」

「あ、あの名前で・・分かった?」

「うん、すぐに分かったさ」

「わあ、よかった。 分からないかもなあって思ってたから・・」

「あの名前、もう絶対にメイでしょ」

「また掛け直すって言ったんだけどね、名前を訊かれたから咄嗟に・・」

「咄嗟だったの? よく思いつくよねぇ、感心しちゃう・・それに僕たちだけの暗号っぽくて、なんだか楽しくて、嬉しい・・」

「嬉しいの? 楽しいなら分かるけど・・」

「だってさ・・」シャレたことや機知に富んだ話を咄嗟に思いつくって、メイがそういう女性(ひと)だってことだよ。誇らしいっていうかさ・・「なんだか、やっぱり嬉しいよ」

「へえ、そうなの? でも、そう言われると、私もうれしい・・」

「電話くれたことも嬉しいしね。で、どうかした?」

「え? ああ、なんでもない・・声が聴きたかっただけなんだ・・忙しい?」

忙しくても絶対に<忙しい>なんて言わないよ。決まってるじゃない。

「ぜんぜん! 僕も『声、聴きたいな』って思ってたとこだから・・」

「うん・・・・」

 

君と僕だけに通じるコード・ネーム。

そんな他愛ない事が、なんだかとても楽しく、嬉しい。