あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

清張と新一と洋子

松本清張原作の「砂の器」が松竹で製作され来月公開される。大々的にキャンペーンを張っていたので結構話題になっていた。ここ北見でも皆の話題に時々上っているのを感じる。

 

君は早速その話をする。

「もうすぐ “砂の器” って映画が始まるわよね。観に行くの?」

キャンペーンを目にしていた僕は、

「ああ、いま宣伝してる映画? 松本清張の原作だよね?」と話に乗る。

清張の名に敏感に反応した君はどこか嬉しそうだ。

「そうよ。本は読んだ?」

一瞬たじろぎ、しまった、と思ったが遅かった。どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。読書の習慣があまりないことに気後れがして、出来れば伏せておきたかった話題だ。こうなれば正直に話すしかないだろう。

「読んでないワ。松本清張は一冊も」

「ええっ? 一冊も?」君は信じられないという顔をする。

「うん、清張に限らず推理小説は一冊も」

「勿体ないなあ、松本清張はホントに面白いんだから。読んでごらんなさい」

僕を説得にかかる君の顔はどうやら本気のようで、清張ファンを増やそうとする熱意に圧し切られそうだ。勧められて読むのも悪くないかなと思うものの、未知なジャンルは正直気が重い。

推理小説って無理やり犯罪を嵌め込んでる気がしちゃって。読んでない者の偏見かも知れないけど」

「確かにそういう作家もいるけど、清張は社会情勢とか風習とか人間の性っていったものを丹念に調べて構成してるのよ。そこに作り物めいたトリックなんて入ってないわ。だから面白いし胸を打つんだと思う」

参ったなあ、と思う。僕はすでに説得されかかっているのを感じる。君が言うのだからそうなのだろう。

「そんなに面白いの」と言った時には生涯で初めて、読んでみるか、と考えていた。

ところが君の話はそれで終わりではなかった。

「それから星新一も面白いわよ。短編集ですぐ読めるから、こんど貸してあげる」

「ああ、ありがとう」

松本清張ではなく、星新一を借りることになった。

 

別の日には、また別の作家が登場する。

 

桐島洋子の “聡明な女は料理がうまい” って本があるのね。これ、面白い。あの人の生き方も惹かれるものがあるし・・・」

桐島洋子が何者か知らないし、名前さえ聞いたこともなかった。そもそも料理の経験はゼロに等しい。

君も “聡明な女” だよねってニュアンスを込めて

 「じゃあ君も、料理がうまいのかな?」と聞いてみる。

「さあ、それはどうでしょうねぇ。あなたは料理に興味ないの・・・」

うまく切り返されてしまった。

「ごめん、料理はまったく・・・」

 

君は言葉を濁していたけど、きっと美味いって確信のようなものを感じる。何故だろう、そこは人間性が現れる気がして譲れない確信だった。

聡明って、そのまま君だよ。

  

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この頃の僕の読書量などたかが知れている。司馬遼太郎五木寛之などをポツポツ読み始めた程度だったからだ。本を読む習慣はあまりなく、映画、スキー、ドライブなどを趣味にしていた。そういえば北海道なのにスキーの話は出なかった気がする。スキー場は近くにあるのだろうか。季節がもう少し進んでいれば、きっとそんな話題も出たはずだよね。なんだかとても残念に思う。一緒に行ったかも知れないのに。

ちなみに、あれから松本清張は随分と読んだ。目の奥に痛みが出るくらいにね。ただ、「砂の器」は読んでない。映画は観たけれど。

 

 


あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。