「心配事の9割は起こらない」と云われている。
まして胸騒ぎや虫の報せといったレベルともなれば起こる確率はかなり小さく、取越し苦労と揶揄されるのが現実なのだろう。
それでも心配事が起こる確率がゼロではないところが、心配事の心配事たる所以なのかもしれない。
◇◆◇
月に1回程度、仲間を誘って遊びに出掛けている。行先は寺社仏閣だったり博物館だったり街歩きだったり様々だ。観光スポットを選択する時もあるが、そこには必ず観光ルートから外れた物事を絡めるようにしている。日帰りの範囲に面白そうな場所が結構あるから可能なのだが、楽しむためには情報収集や事前のリサーチが欠かせない。
令和への改元を間近に控えたあの日の夜も、ベッドに座り込みノートPCを開いて、翌週予定している場所の下調べと周回するルートのトレースをしていた。大まかなイメージを掴んでおくことは楽しむための必須条件だ。目的地と最寄り駅の位置関係や周辺の状況など、予定コースの街並みを歩行者目線で眺めるように思い描いておけば、往々にして起こる予定変更にも柔軟に対応できるようになる。
緩やかに下る紀尾井坂の右手は、ホテルの敷地を囲う石垣が続いていて、落ち着きのある風情を醸している。国立演芸場はこのまま道なりで20分ほどの距離にある。迷う要素などあるはずもなく、当日の晴天を期待しながら散策気分でトレースしていた。
それは前触れもなく起こった。
眺めていた風景に違和感を抱き、確かめようと先に進める。いや、勝手に進んでゆく。次々と移り変わる風景は慄然とするほど美しく懐かしい。遠い昔に歩いた街並みがそこにあった。呆れるほど明瞭な映像で次々と再生されるそれらは、あの頃に訪れた街であり、働いた職場であり、滞在した部屋だった。
遠く懐かしい情景 ―― それは君が身近だった "あの頃" の記憶だ。かなりの年月を経て劣化していた記憶がリニューアルされたような鮮明さは、懐かしいと同時に衝撃も大きく、"何事だろう" という戸惑いも覚える。前触れもなく始まった現象は、記憶の底から止め処なく湧き上がって一向に終わる気配がなかった。
「何があった・・」心の中で呟きながら、脳裏で再生される "あの頃" の映像から目を逸らすことができない。ノートPCを持ったまま一点を凝視している目は、何も見ていなかった。何も考えられないまま一方的に見せられていた。
時間の感覚は剥落していた。長くも思えたし案外短かったとも思える。ただ、あまりに鮮烈だったため繰り返し何度でも反芻する羽目になった。なかなか寝付けないまま空は白み始めた。
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それはこの夜だけでは終わらなかった。数日間続いたり途切れ途切れだったり、夜であったり日中であったりを繰り返して数週間続いた。
正直に言えば、あの頃のことを懐かしく思い出し、その度に切なくほろ苦い感傷を覚えることはこれまでにもあった。けれどこれほど執拗だったことは経験がない。
鮮烈な苦い思い出は感情の深いところを揺さぶり、執拗さはその効果を強める。感情の波に翻弄されそうになりながら、落ち着く時を耐えて待つしかなかった。戸惑いはしても動揺しないような努力が必要だった。止める手立ては何もないのだから。
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心霊現象や超常現象の類は信じていない。好きではないとも言える。けれど、鮮明な思い出がこれほど執拗に繰り返されるのは、まるで脅迫でもされているようで追い詰められた心理状態に陥りそうになる。
思い出に思い出以上の意味を持たせようとする心理は、慎重に排除しなければならないだろう。それが正論だと頭の隅のほうで警告灯が明滅している。
腹の底から繰り返し寄せて来るさざ波のような感覚を、何と呼べばいいのだろう。何かあったのではないか、伝えたいことでもあるのだろうか・・自分の考えとは裏腹に、こうした思いが次第に支配的になって行くのを止めることができない。北海道を度々襲っている大きな災害が、抱えてしまったわだかまりを増幅しているだけかも知れないが。
僕の見ている空を、月を、季節を、君も見ているだろうか。
無事なのか? 元気でいるのか? ――――。
消息さえ掴めない君に対する問い掛けは、正解のないパズルを解いている心許なさを覚える。胸に抱えるもどかしさは払拭できず、確認する手段も見つからぬまま時間だけが着実に浪費される。
「まさか」とは思う。抱えている不安が杞憂であることを願ってもいる。実際にできることは何もないけれど、終わっている過去の話だからといって安否さえ気にしないのは何かが違う気がする。「取り越し苦労」と決め込んでの放置など出来るはずがない。
「まさか」を打ち消せる確証は得られないままだ。
健在だというシグナルを受け取る方法はあるのだろうか。
物事には始まりがあって終わりがある。
できることなら始まりから順にご覧頂けることを。