あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

女子寮

君は女子寮に入っていたね。

寮にある電話は玄関に1台きりで、それもピンク電話だと君は言っていた。だから君から僕に電話を掛けてくることはほとんどない。

その夜も僕が寮に電話を掛け、君を呼び出してもらった。

 

電話中に急に何かを思い出した君は

「あ、ちょっと待っててくれる? 部屋に行ってくるから・・・切らないでね」

と僕に断った。勿論待ってるけど、切らないでね、が気になる。

「え? ああ、うん、待ってるよ、長くかかりそう?」

「ううん、そんなにかからない・・」と言ったところで誰かが通りかかったらしい。

ねえねえ○○ちゃん、と呼びかけるくぐもった声が聞こえる。それから君は僕に向かって言った。

「ねえ、ちょっと話してて」

「・・・」意味不明で言葉が出ない。それから直ぐに慌てて止めようとした。

「ちょっ、ちょっと待って・・」遅かった。

君は受話器を耳から離してしまったらしい。○○ちゃん、ちょっと話しててくれない?、と言ってる声が遠くに聞こえる。参ったなァ・・面識のない女の子と何を話せばいいのだ? それも電話で。まったく無茶をしてくれる。。

その子も躊躇っていたようだけれど、君は「頼むわね」と言って受話器を渡して行ってしまったらしい。

 

少しの間があってから受話器から声が聞こえた。

「もしもし・・・」

もう逃げられない。兎に角、何か言うしかなかった。先ず、初対面の挨拶から・・

「初めまして」第一声としては妥当な線かな、と思った。

「あ、初めまして」その子も乗ってくれたようだ。仕方なしだろうけど。

『彼です』と紹介されたようで、恥ずかしいような少し面映ゆいようなドキドキする不思議な会話が始まった。

「すみません、変なことに付き合わせちゃって・・」

「いえいえ、大丈夫です」

「あのう・・」話の続け方が分からなくて、メイのことを訊いてみることにした。「メイさんて、寮の中ではどんな様子なの?」

「え? え~っと・・」なんと答えてよいか分からない様子が見えるようだ。僕は急いで取り消した。

「ああ、いいです、いいです答えなくて・・」そうだよね、答えられないよね・・「ごめんね変なこと訊いて」考え直して質問の角度を変える。

「メイさんの同期なの?」

「あ、いいえ、後輩です」

「後輩なの、寮の人ってみんな若いんですか?」

「いえ、メイさんの先輩もいますよ」

そうだ、この調子だ。ようやく話が回りだした。

「ふうん、そうなんだ。寮って大勢いるんですか?」

「いえ、6部屋しかありませんから」

「え? 6部屋?」驚いた。

80人近くが住む男子寮しか知らない僕には、少なからぬカルチャーショックだ。しかも半ば公然と独房と呼ばれるそれは、3畳程度の細長い部屋の片側に、作り付けの寝床と洋服入れ、突き当りの小窓の下に机が1つあるのみという代物だった。酔って終電を逃し、管理人に見つからないように忍び込んで泊めてもらったことも一度ならずあった。

「ずいぶん少ないんだね」

「それも1部屋空いてるから、今は5人だけなんですよ」

「そうなんだ・・、こっちの寮って80人近いからね。男子寮だけど・・」

「80人・・、その方が驚きですね・・」

「だから食堂があって、朝食と夕食は作ってくれるらしいよ」

「ああ、羨ましいな。ここは自炊だから」

「自炊なのか、それは大変だね。毎日だものね」

「でも、交代でやってますから少しは楽・・」

「交代制にしてるの?、当番の日には遊んでられないね」

「ええ、それに全員が参加してる訳でもないですしね」

「自主独立って人もいるんだね・・」少ない人数でも人間関係は複雑らしい。その辺りは立ち入らないようにしよう。そろそろ知りたいことを訊いてみてもいい頃合かなと思い始める。

「ところで、メイさんって、厳しくないですか?」

「いえ、優しくしてもらってますよ。あ、ちょっと待って下さい。戻ってきました・・」

これから始まるってところで時間切れになってしまった。

「付き合ってもらって、ありがとう。楽しかったです」

「こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました。替わります」

受話器を受け渡す音がして、君の声が届いた。

「お待たせ・・」

ようやく戻った君の声にホッとしている自分がいた。緊張していたらしい。

「何を話してたの? 楽しそうだったじゃない」

「うん、寮のこととか自炊のこととか、かな」

「それだけ?」

「メイのこと訊こうとしたら時間切れになっちゃった」

「はは、残念でした・・」そう言った君は、ちょっと悪戯っぽい口調で付け足した。「もう一度、代わろうか?」

「いやいやいや・・」僕は即座に取り消しを求める。「やめて。緊張して何話していいか分からないんだから・・」

「え~っ! 緊張してたの? そんな風には見えなかったよう・・やっぱり呼んでこようかなあ・・」にやにやしてるのが見えるようだ。僕は素直に白旗を上げた。

「降参です。意地悪はやめましょう」

「あーっ!」君は頬っぺたを膨らませるふうな声を出して続けた。「意地悪じゃありませーん。ちょっと悪戯はしたけど・・」

「はいはい、参りました。悪戯もやめましょうね」

「”ハイ” は一回ですよ。それに上から目線・・」

「ハイ! 無条件降伏です。僕はメイと話していたいです!」

「素直でよろしい。いつもそうしなさいネ」

「はあい・・」小学生の声音で言ってから話題を変えた。「それより部屋で何してたの?」

「うん、ちょっとね、忘れ物・・」

 

メイと交わす会話は楽しい。他愛のない会話はどこまでも果てしなく続けられそうだ。それはとても大切で貴重な時間なんだと思う。

 

その女子寮は、もうない。

 

 


あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。