『私が東京に行くよ』
メイに言われてからの数日は羽が生えたような気分だった。心はどこまでも晴れやかで足取りは軽くなり、すべてが輝いて毎日が楽しく幸福感で一杯だった。文字通り飛び跳ねるように生活していた。
良く晴れて爽やかな一日になりそうだった。通勤通学の慌ただしさも消えて、住宅地のこの辺りはホッとした静けさに包まれている。遠くで保育園児の散歩するざわめきが聞こえ、屋根から降ってくるスズメのさえずりが眠気を誘う。平日で上天気で自分だけは休日(今日は週休日なのだ)。普段なら何処かへ出かけてしまうところだ。
『待っていよう』
朝から予感のようなものがあった。6畳間の真ん中にごろりと寝転がると、天井から下がっている蛍光灯がこちらを見ている。
電話が鳴った。メイからの電話だと直感した。
勢いよく飛び起き、跳ねるように電話のある玄関へ向かう。
突然脳天に衝撃が走り、真っ暗になった目の中で何かがチカチカッと瞬いた。
仰向けに倒れている自分に気付くも、何が起こったのか理解できない。
やがて痺れたような鈍い痛みが頭頂部を覆い始め、追いかけるように激痛が走る。
「イイッ、テェ~」
頭を打ったらしい。それもしたたかに。
いったい何処に? 天井まで飛び上がれる訳じゃなし。。 頭を押さえて仰向けのまま眺め回すと、あった。鴨居だ。本当に飛び跳ねていたんだ・・。
電話のベルが間近に聞こえ、慌てて受話器を取る。
「ゥ~、ハ~イ~~・・」思わず呻き声になってしまった。
さすがにメイも気付いてしまう。
「え? どしたの?」
「ん」まだ真面に話せる状態ではない。「ちょっと、待ってね」ようやくそれだけ言えた。
「え、うん、いいけど・・」
面食らっているような心配してるような、複雑な声が返ってきた。状況が見えないから無理もないか。
僕は受話器を持ったまましゃがみ込んで頭を押さえ、5つ数えてから話し始めた。
「ごめん。今ね、頭ぶつけちゃって」
「大丈夫なの、怪我してない? またにしようか?」
「ああ、もう大丈夫だよ」元気を印象付けるように明るい声を務めた。「メイからだって思ったから、つい、急いで」
「バカね、慌てなくてもいいのに。電話なんて後でもいいんだから」
「でも、今日が週休だからでしょ、家に電話したのは」
「そうだけど」
「それに頭を打ったけど、悪い事ばかりじゃないよ」
「え?」
「身長が2センチくらい伸びたかもしれん、タンコブで」
「冗談なんて要らないよ。でもまあ、冗談を言えるようなら心配ないか。ホントに怪我してないのよね?」
「うん、大丈夫だ」飛び跳ねて鴨居に頭を打ち付けたなど、とても言えない。「日程、決まったの?」
「うん、決まったよ。休暇を取って、飛行機も予約した」
「よかったあ・・」僕はメモの用意をした。「日にちと飛行機の時刻を教えて・・」
「え~とね・・」
日にちと飛行機の便名をメモする。
「へ~、釧路発なの?」
「うん、千歳まで遠いっしょ。こっちの方が近いの」
「釧路かあ、気付かなかったなあ」
「最近らしいよ、この路線」
「そうか、気にしておこう。じゃ確認するね・・」
僕はメモを復唱してから付け加える。
「羽田まで迎えに行くからね。気を付けて来てね」
「ありがと。よろしくネ」
目から火が出る ―― という言葉はどうやら真実だったようだ。僕は身を以って実証した格好になってしまった。
まあ、正確に言えば目から出るのは “火” ではなくて “火花” だけどな。
あの頃って、いつ頃? ―― 始まりの話はこちら。