あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

留辺蘂

「相談したいことがあるんだけど・・」

これまでの雑談と異なり神妙な声になって君は言った。その口調が簡単な相談ではないと告げているから、受話器を持つ手が少し緊張気味になる。

「どうしたの? 改まって」

「うん、相談っていうか、お願いかな」

なんだか言い難そうなので、軽い雰囲気をお膳立てしてあげよう。

「お願いに近い相談ってところかな、なあに」

「二人の住まいのことなんだけど・・」

なんだそのことか、と半ば安堵した。

「相談も何も、取り敢えずアパートを探そうかと思ってるけど」僕が常識的な考えを伝えると、君は予想もしなかった提案をしてきた。

「それでね、聞いて欲しいの」少しの間があってから、決心したように続けた。「ねえ、こっちに住む訳にいかない?」

「えっ?」と言った切り、しばらく声を失ってしまった。

完全にヤマを外された試験問題のようで何も考えられない。君は僕の返事をじっと待っている。

「北海道にか・・」ようやくこれだけ呟いた。

「この間、東京に行ったでしょ」

「うん」

「あれからずっと考えてたんだけど、私やっぱり、北海道の空気が合ってる。っていうか、東京は無理だなって思う」

重い言葉だった。

「それって、東京には来ないってこと?」

「時々ね、想像してみる。東京で暮らしている自分を。遊びじゃなくて生活している様子をね。でも現実感をまったく持てなくて、まるで他人事なの。普通はさ、楽し気にしてるところを想像すると思うんだ、夢見るっていうかさ・・」

「うん・・」

「それでも時々は空想するのよ。お店に並んでる食器の中から二人で揃いのカップを選んでるとか、ラーメン食べたいって言っちゃ夜の街を並んで歩いてるとか、畑ん中をドライブして大きな声で歌ってるとか・・ね。でも気が付くとね、そこ、北見なんだ。変でしょ、こんなの」

「・・・」

「そんなことを何回か繰り返してて気付いたんだ。私きっと、東京と肌が合わないんだ、馴染めないんだって。この感覚は何年経っても変わらないと思う」

「そういうこと、考えたこともなかったよ」本音だった。何の疑いもなくメイが東京に来るものと決めて掛かっていた。

考えてみれば、生活の糧が得られるならどちらに住んでも同じじゃないかと思う。大切なのは二人で暮らして行くことで、それ以外のことは副次的な話だと云える。

「ごめんな、どこに住むかは二人で相談して決めなきゃいけなかったね」

「私、我が儘言ってると思うし、無理言ってることも分かってる」

我が儘と無理って分かってるんだね。君はそれでも北海道で暮らしたいと言ってる。簡単に行き来できない距離が心底恨めしい。

「いいんだ、メイの気持ちは分ったから。でも、僕にも事情があるのは分かるね?」

「うん、分かるよ」

「少し考えさせてくれないか? そっちに行くとなると仕事も探さなきゃならないし」

「そのことなんだけどね」胸につかえていた思いを解放した君は、心が軽くなったのか少し明るい声になって言った。

「話が前後しちゃうけど、ここから近いところに留辺蘂って町があるのね」

思いもよらぬ方向に転がっていきそうな気配で少し身構える。

留辺蘂? 聞いたことないけど」

遠軽と北見の間にあるんだけど、ここから車で30分くらいかな」

「ふうん、留辺蘂がどうしたの?」

「そこで欠員が出たから募集してるって聞いたんだ」

何を言いたいのか直ぐに察しがついた。

「そこに転勤したらどうかって?」

「うん、そうなると嬉しい」君は期待のこもった声で言う。「この間、留辺蘂の話を聞いて、それで相談してみようって思ってたんだ」

「う~ん・・」僕は唸ってしまった。転勤できるなら仕事を探さなくても済むから有難い話だと思う。でもねぇ。「同じ会社って言っても東京と北海道じゃ別組織みたいなものだからね。転勤ってなるとかなり厳しいよ。何年も待つようになるだろうし、下手するとダメってこともあるからね。第一僕の気持ちもまだ揺れているし」

「私、待ってるよ」

「そうか」僕はそこでふと抱いた疑問を投げてみた。

「もし僕が『ノー』って言ったら、どうする積りなの?」

すると君はきっぱりと言い切った。

「そこは大丈夫。あなたは絶対に『ノー』って言わないって信じてるから」

そこまで信じて期待されてしまっては、僕の力で覆すことなど到底不可能に思えてきた。

「随分自信持って言われちゃったねぇ、参ったなあ」

途方に暮れる僕を置いて、君は明るい声で次のステップに進もうとしている。

「考えてみてね、私信じて待ってるから」

勝負あったかもしれない。僕は先ほどから胸に引っ掛かっていることを訊ねた。

「ねえ、メイ、この話ってさ」

「うん? なあに?」

「相談っていうよりも、メイが決めたことの『お知らせ』になってない?」

「そうねぇ、言われてみれば、そういう面もあるのかな」

「そういう面が大ありだよ」

「うん、だから相談じゃなくてお願いかなって」

なるほど、限りなくお願いに近い相談・・なんだね。

 

結局、こういう話は惚れた側が譲歩するんだろうなあ。漠然とそう思う。

転勤の話は終わりにして雑談に戻ったけれど、頭の隅には常に転勤のことが引っ掛かっていて、君と交わすおしゃべりの楽しさにも ”無邪気” から “責任ある愉しみ” へと変質していることを感じる。もしかすると、案外これは良い変化なのかも知れない。

電話を切ったとき、どうやら僕の心は半分決まっていた。

 

 


あの頃って、いつ頃? 話の始まりはこちらへ。