あの頃、ふたりで。

遠い昔のラブソング

楽しかった

「室蘭に行ったらいいさ」

温泉でも行ってくれば、というお母さんの誘いにお父さんが提案したのが室蘭だった。

「そこは混浴だし、二人で入れるぞ」

お父さんの冗談ぽい話に、え?、と思う。

「混浴ですか?」

僕の反応を見たお母さんが修正した。

「昔の話よ、10年以上も前の」

それでもお父さんは追加情報でプッシュする。

「変わったって話は聞いてないし、車ですぐだから行っておいで」

お父さんの折角の冗談には付き合いたい。断る理由もなかった。

「折角だから行ってきますよ。混浴は入ったことないし」

と返事をしていた。

 

◇◆◇

 

室蘭までは国道を行けばほぼ1本道で迷うことはなかった。道は空いていて天気にも恵まれドライブするには持って来いの日だ。僕は半分浮かれ気分で車を走らせていた。

 

温泉はすぐに見つかった。受付に行き入湯料を払う段になって不思議な感覚を持った。男湯、女湯といった案内が無いのだ。どうやら浴室は1つしかないらしいと気づいたのは、脱衣場へ向かっている時だった。何とかなるさ、とあまり考えなかった。

浴室へ入って驚きの追い打ちを喰らう。なんと大浴場なのだ、それもかなりデカイ。山間部にある小さな湯治場のイメージしか持ってなかった僕は、完全に面食らって落ち着きを取り戻せない。

おまけに浴室への入り口が男女で両端に分かれていたため、僕は君を捜すのに浴室の端から端まで歩く羽目になった。

なんとか君と落ち合えたものの、さすがに衆人環視の中で平気で寛げる度胸はなく、温泉をゆっくりと楽しむ雰囲気に浸ることもできなかった。僕たちは早々に引き上げることにした。

 

◇◆◇

 

「驚いたね、あんなに大きいとは思わなかった」

国道を東へ向かって走りながら話していた。「湯治場のイメージしかなかったから軽くショックを受けたよ」

「そんなに大きかったの? 私には分からなかったけど」

そうだった。女性用の入り口付近には壁によって仕切られた独立した小ぶりな浴槽があって、その壁の端の途切れたところが大浴場との往来に使われる構造だった。

「だから、メイを捜すために大浴場の端から端まで歩いたんだよ」

「そうだったの、ご苦労様でした」

「それも素っ裸で。当たり前だけど」

「そうね、お風呂だもの」

「メイを捜してウロウロキョロキョロしたもんだから落ち着かない気分になっちゃって。それですぐに出ようって言ったんだ」

「私は入ったところで出ようって言われたから、何かあったのかと思ったわ」

あの時並んで浴槽には浸かったけど、いま思えばほんの数分だったのではないかと気がついた。

「そういえば、体を洗う暇もなかったね。後で銭湯に行く?」

「ううん、もういいわ。温泉には入ったんだし、サッと流せたから」

「じゃ、まっすぐ帰ろう。お父さんとお母さんが待ってるよ」

 

◇◆◇

 

陽はだいぶ傾いてきていた。西日は後ろから射しているので眩しくはないが、対向車には気の毒な位置にあった。登別を過ぎてしばらく走ったところで、君がポツリと呟いた。

「子供の頃にね、母によく言われたことがあるの」

カラリとした口調だった。

「何を言われたの? もしかして悪戯っ子だった?」

「まさか。あなたとは違うわよ」

「あら?」と言って僕は異議を唱える。「僕をどんな人間だと思ってるの?」

「そうね、見たままの人かと・・」

「さっきの口ぶりでは悪戯好きな子供だったと思ってるでしょ」

「うん、そのままじゃない?」

「残念でした、子供の頃の僕は大人しくて良い子でした」

「ええっ? 想像できない・・」

君は "嘘でしょ" って顔してる。

「前にも話したけど、今の僕が出来上がったのは就職してからだよ」

「ふうん、職場の影響って大きいんだね」

「て言うより、今の仕事に就いてから自信が付いたのかもね」

「自信を持つと悪戯好きになるの?」

そんな風に詰め寄られても返事に困る。

「それは人によるんじゃない?」と返していた。自信と悪戯に相関関係があるとも思えない。「僕の場合、悪戯心は子供の頃から持ってたんだろうな」

「やっぱり見たまんまだったのね」

「そうなるのか」振り出しに戻ってしまった。「人間の本質ってあまり変わらないのかもしれないね」

こんな形で自分を再発見することになるとは考えもしなかった。僕はメイのお母さんが何を言ったのか気になってきた。

「それで? お母さんに何て言われたの?」

「ああ、ええとね」君は "そうだった" って顔になって言った。「遊んで帰った時はね」

「うん」

「どんなに疲れていても『ああ楽しかったって帰るのよ』って言われてた」

僕は自分の子供時代を思い出していた。

「子供でしょ、遊び疲れてれば無口になるし、つい不機嫌な顔しちゃうけどね」

「それは許してくれなかったな。不機嫌な顔で帰ると『ただいま』からやり直しさせられたもの」

「へえ、結構厳しいんだね・・」

「『楽しい思いしてきたんでしょ、留守番の人は遊んでないのよ』って言われたら反論できないもの、子供でも」

「そうだねぇ」自分の態度を思い返すと冷や汗ものだ。「僕は結構、仏頂面してた気がする。大きくなってからも・・だな」

「悪い見本だね。お母さんには見せられないわね」

「大丈夫。いまはもう、そんなことしません」

「私の前でもそうしてね」

「もちろんです。誓って」大人になれば常識的に対処できても小さい頃から出来てたんだろうか。「なかなか出来ないことだけど、小さい頃からできたの?」

「ええ、出来る限りでね。そうしてきた」

「今でもそうしてるんでしょ?」

「小さい頃からやってるからね、苦にはならないよ」

感心するしかなかった。

「お母さんも凄い人だけど、実践してきたメイも偉いなあ・・」

エライ女性に惚れたもんだと思うと同時に誇らしくもある。あのお母さんにしてこの子(メイ)かとも思う。

「私は嫌でもやらされてきただけだから・・」

 

「僕に小さな姪っ子が居てね」

「あ、お姉さんのお子さんね」

「うん」

「あの時は会えなかったけど、可愛いでしょ」

「うん、可愛い・・」僕は姪の顔を思い浮かべる。小さな子供に厳しく躾けるには強い信念が必要だろうと容易に想像がつく。「その子を考えると厳しく躾けるのはかなりの覚悟が要るなって思う」そして改めてお母さんの凄さを思う。

「やっぱりさ、メイのお母さんてつくづく素敵な人だと思うよ」

「でも、キツイこともあるわよ」

"だろうな" とは思う。でもそれは人間的な優しさに裏打ちされた厳しさだと思っている。

「なら、今日の温泉も『楽しかった』って言うようにしないとね」

「そこは正直でいいんじゃない? 不機嫌な顔とか疲れた顔がいけないんだと思う」

「不機嫌にはならないよ、疲れてもいないしね」

「普通にしてましょ」

「でも、びっくりはしたね。色々話すこともあるなあ・・」

「いまだに混浴だったのが一番よね、私も驚いたもの」

そうだ、1つしかない大きな浴槽が丸ごと混浴って温泉が、まだ残ってる事自体がニュースだよね。

 

車は市内に入っていた。家まではもう少しだ。

 

 


あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
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