「あのさ・・」運転している僕の横顔をまじまじと見つめて君は言った。
「あなたのくちびるって、案外薄いわよね」
何を見てるのかと思ったら唇だったか。
「あれ、そう? 意識したことないからなあ」
僕はルームミラーで自分の唇が見えるように首を伸ばす。
「普通なんじゃない?」中くらいの大きさっていう自覚はあったけど、厚みまで意識したことは無かった。
君は気になってたらしいことを口にする。
「くちびるの薄い人って、おしゃべりって云わない?」
「聞いたことあるよ。ついでに言うと、嘘がうまいとも云われてるよね」
言った瞬間に後悔していた。もし肯定されたらと考えると落ち着かない。
「嘘つきとは思ってないわよ」
僕は心の裡でそっと胸をなでおろす。
「良かったぁ。自分で言っておきながら、"そうね" なんて言われたらどうしようって思ってた」
「そんなこと思ってたら、ここには居ません」君は当然のことを言う。
「そりゃそうだな。それで、悪いけど、おしゃべりって通説も外れてる気がするよ」
「おしゃべりじゃないの?」
君が意外って思ってるらしいことが僕には意外だった。
「どっちかって云うと無口というか、口下手っていった方が当たってると思うけど」
「口下手っていうのも外れてない?」
「あれれ? 僕がおしゃべりって思ってる? 冗談は好きだけどね」
君は前方の白い雲を見上げながら思案している。
「う~ん、そうねぇ、おしゃべりとは違うかな」
違う違う、全然違うさと思いながら君のくちびるに目をやる。
「僕のが薄いくちびるなら、メイのは・・罪なくちびるだよね」
「え? 何それ」
君は怪訝な顔をしてこちらを見る。僕は左手を伸ばし、ぷっくりと形のいい下唇を人差し指でプルンと弾いて「こいつがね」と言った。
「僕の心を鷲掴みにして、虜にしてしまうからだよ」
「・・・」君は何か言い返そうとして、結局何も言わなかった。
◇◆◇
言われてみれば僕の唇って、君の唇より薄いのかもしれない。そこへゆくと君のくちびるは 何と表現すればいいのだろう。
上唇は僕と同じくらいだけど、下唇はぷっくりと品のいい膨らみがあって、上下のアンバランスさが絶妙だ。笑うと口角が上がって唇が左右に引き延ばされ、さらにチャーミングになる。
大きさも形もバランスも、これ以上ないってほど完璧に計算されて "あるべき所にある" のだと思う。それは外の誰のものでもない、君にしかできない『美』なのだ。
話してるときの君のくちびるの微妙な動きは、見ている僕の心をとてもドキドキさせるってこと、知ってるかな?
君のくちびるが微かに笑みを湛えれば、僕の気分は最高。そしてそれが、僕ひとりに向けられたなら、もう何も要らない。
◇◆◇
少しのんびりし過ぎたようだ。釧路の市街地に差し掛かった時にはだいぶ陽が落ちていた。取り敢えずの差し迫った問題は宿泊場所の確保だった。以外なことに街が大きいほど自力で探すのが難しくなる。二人で相談して観光案内所で紹介してもらうことに決め、道路案内板に書かれた釧路駅の文字をたどって車を進めていった。もうすぐ暗くなる。
あの頃、遠い昔のラブソング。
ものごとの始まりと終わり。
できることなら《始まり》から順にご覧頂けることを。